『100m進むのに10分』


「100m進むのに10分かかる」
障害物はないほぼ平坦な遊歩道で、何をそんなに掛かるんだ、と思われるだろう。
みなさんの、普段歩くスピードはもっともっと早いはず。
もし自身でそんな経験したとしたら、幼少期まで遡るんじゃないだろうか。
ツノを伸ばしてゆっくり進むカタツムリ、上へ上へとよじ登るテントウムシ、形を変えながら流れていく雲、
そんなものを目で追っている内に時間が経っていた、なんて子ども時代はきっと誰もが通過してきたことだと思う。

大人になるとそうした事から離れて、ささっと歩いてしまう人が増えてしまう。
体が成長して歩幅が大きくなったせいなのか、知識が増えて好奇心が子供時代より低くなってしまったのか。

進む速度が早ければ、目に入ってくる情報も限られる。

だから、大人は立ち止まるほど見えてくる。

大人には時間の制約がつきものなので、速度を上げなければならないことは多々ある。
私も例外ではない。

でも、それ以外の時は、ゆっくり歩く。そうすると、気になるものが増えてきて、立ち止まる回数も勝手に増える。

スピードを上げると、見逃してしまうものがあるような、何かもったいない気持ちになるので、
野山に入った時に脇目も振らずささっと歩く動作は、私には難しい。
いや、よく考えたら野山に限った話ではない。
他地域に行けば、町中の街路樹や植え込みでさえ、足を止めて見入ることは良くある。

ここから風景が変わるけどなんでだろう、さっき見た植物と似てるけど何かが違う、おや何かを運ぶアリがいるな、
待てよあれは何だ?
立ち止まる理由を挙げたらキリがない。

歩くという漢字を分解すると、少し止まると書けることに、最近気がついた。
こんな意味深な単語だったなんて、知った瞬間心が引き寄せられた。
誰の心の中にもあるこのワクワクを、眠らせたままにするのはもったいない。
だから私は、伝え続けたいのだろう。